ベートーヴェン 交響曲全集 カラヤン指揮ベルリン・フィル(1982-84年)2009-07-01 Wed 11:27
![]() ↑HMVのサイトに飛びます 以前のカラヤン祭のエントリーをひとつの記事にまとめて、全集盤の推薦として再アップさせてもらいます。 (期間限定価格も終了したようですので) 以前のエントリーは【オーディオ】カテゴリーに変更します。 YAMAH SOAVO-1のレビューをご覧になる方は、そちらのカテゴリーからどうぞ。 【第1番、第2番】 ベートーヴェンの第1番は、すでにハイドンの世界を超えている、というのが、私の見解なのですが、皆さんはどうでしょうか? ここにパパ・ハイドンの影響を認めるのに苦労しないとはいえ、師にはなかったスケール感と書法の力強さを、すでにベートーヴェンは発揮しています。 カラヤンの演奏は古典派の殻をいまにも破りそうなベートーヴェンの覇気を、いかにもよく表現しているところに惹かれます。 この曲をこじんまりとしたスケールの音楽にまとめてしまう指揮者は多数派を占めると思います。 それはそれでひとつの見識ですが、最晩年のカラヤンが、実は若々しさのみなぎる演奏で、この処女交響曲を描きあげていたのは、私にとって新鮮な驚きであり、うれしさでもありました。 アインザッツは、むしろ1970年代にも増して重厚になっていますが、重苦しさは感じられません。 カラヤンの指揮で聴くとき、この交響曲が傑作と呼ばれる作品であると、実感されてくると思います。 最終楽章の音の競演は耳にもご馳走です。軽やかな序奏にのって、次第に大きな音楽がやってくる様子は、聴いていてわくわくします。 信じにくいですが、第5番なみの迫力で演奏されています。 あ、なんだか本当に、この全集、食わず嫌いしていた気がする・・・・・・(苦笑) 第2番は、とにかく第二楽章ラルゲットの無比の美しさに尽きます。 ため息をこぼすこともできないほど魅せられます。 カラヤンはここで、この美しい楽章を、息を止めて聴き入るほかない音楽にしています。 第三楽章〜最終楽章はソロ楽器が活躍し、華やかな出来映えに彩りを添えます。 最終楽章など、やや常套句的な演出が過ぎると思われる部分もありますが、よほど悪慣れしたリスナーでなければ気にならないものでもあります。 録音は、この輸入仕様カラヤン・ゴールドに限っていえば、巷間よく非難されるようなギスギスした硬さとは無縁で、自然なハイファイ録音です。ダイナミックレンジはやや狭いですが、オーケストラのアインザッツの特色をよく捉えた仕上がりには満足できると思います。 【第3番他】 もはや伝説化しているのが、カラヤンの『エロイカ(英雄交響曲)』です。 彼の十八番といえる作品は、ブラームスの1番と、この『英雄』だと思います。 この全集を酷評していた方々も、これだけは褒めていることが多かったという、真に相性のよい組み合わせが、力を存分に発揮して感動的名演として結実しているように思います。 とにかくカッコよく、どこにもダルさがない演奏であって、それだけでも凄みを感じさせますが、ささやくような弦楽合奏から、咆哮するフォルティッシモまで、音の磨かれかたが尋常ではないです。 まさにモダン楽器・大オーケストラによる最高の錬度と音楽性を誇る名演奏といえます。 そしてやはり、ここではウィーンフィルではなく、ベルリンフィルが必要だったと思います。 低弦の厚みと切れ味はいかなウィーンフィルでも持ち得ない凄まじさですし、カラヤンの手足となって音楽に奉仕するベルリンフィルのサウンドは、同楽団としてもパーフェクトに近い練り上げに成功しています。 第一楽章から、すでにこの演奏の超絶的完成は明らかですが、楽章を追うにしたがって白熱の軒昂ぶりを見せつけ、音楽のすばらしさとはこういうものかと、ある種の陶酔ととともに聴き手に印象づけます。 ベートーヴェンの魂が感じられない?などと某評論家が言ったらしいですが、作曲家本人に聴かせてみたいものです。 私は、絶賛されると思います。 一切のあいまいさを残さず、磨きぬかれた音で決然と演奏されていて、それがカラヤンの美学といえばそのとおりです。 おそらく『エロイカ』は、傑作ぞろいのベートーヴェンの交響曲のなかでも最高傑作候補の最右翼と思われます。 カラヤンはおそらく、この録音を最後と思っていたはずです。 聴いているうちに様々なものが私の心中を去来し、いつしか感動にひたってしまいました。 こんなに気高い音楽が、かつて存在したということ。 誰にも媚びず、自分ひとりの力と決意で、歩み続けた指揮者がいたということ。 それだけで驚異と尊敬に値します。 なお、併録の『エグモント序曲』はいささかテンポ設定に疑問の余地ありとします。 なにかに追われるような演出には理解もするのですが、いかにも軽い音楽になってしまっている気がして、残念です。 録音は新全集中でも最良のバランスで、みごとな出来映えと思います。 リマスターもかなり成功しています。 【第4番、第7番】 ベートーヴェンの交響曲第4番を評した有名な言葉に、シューマンが言ったとされる、 【北欧の二人の巨人(エロイカと第5番)に挟まれた可憐な乙女】 というものがありますね。 その言葉どおり、ベートーヴェンのシンフォニー中でも、もっとも古典的均整のとれた端整な作品で、リリシズムにも欠くことのない音楽です。 しかし反面、無限の生命力が湧き出してくるような不思議な趣をも備えており、そのことは、かの伝説的名指揮者カルロス・クライバーがこの交響曲に執心し、繰り返し採りあげていたことからも察せられます。 ここでのカラヤンの演奏は、クライバーほどの若々しい力の爆発こそ見られませんが、全体に力感のみなぎった音楽作りをおこなっており、可憐というだけには終わらせない意図が見えるようです。 ベルリンフィルもよい反応でそれに応えており、いつものことではありますが、低弦の凄みなど、かなの聴きものといえます。 安定感抜群の指揮ぶりは堂に入っているともいえ、それでいながら、けっして音楽の生命力を失わない行き方でもあるので、聴いたあとには充実感が横溢します。 必ずしも同曲の演奏史に残る録音とも思いませんが、聴いていて不満を覚えるところはなく、隠れた佳演であるといえそうです。 第7番は、より積極的なアプローチがされています。 のだめカンタービレでメイン曲のひとつとして使われ、一般にも有名になった作品です。 ただし、ベートーヴェンの交響曲中、好楽家には随一と思える人気を誇っていた作品でした。 数多くの人気投票で、ブラームスの1番と首位争いをしてきた過去があります。 クライバーの名演もよく知られていますが、いっぽうでカラヤンもこの曲を得意とした指揮者のひとりでしょう。 むしろクライバーの名演も、カラヤンの録音に大きな影響を受けて生まれたものではないかと私は思います(クライバーのカラヤン崇拝は有名でした)。 冒頭から巨大なエネルギーの奔流を感じさせる音楽になっており、その輝かしいサウンドと、徹底して美しく練られた音楽には比類がありません。 いってみればバリがすべて削り取られたような美しさがあって、鏡面的ともいえる独特の境地に達しているともいえます。 あるていどの荒さを残しつつ、激しいエネルギーの放出をおこなったクライバーとは微妙に異なったゆき方ではありますが、双方ともに甲乙つけがたい名演といえそうです。 第二楽章アレグレットの高貴な表情にも特筆すべきものがあります。 若やいだ三楽章や、この作品の心臓部とも言える最終楽章は、とても75歳の老指揮者の音楽とは思えません。 とくに最終楽章は、光輝きわまった音楽の乱舞、音楽の力を爆発的に解放されたフィナーレとさえ思え、武者震いがするほどの興奮を味わわせてくれるのです。 どうやらこれは、カラヤンの同曲の録音でも最右翼の出来栄えと思います。 また、ベートーヴェンの7番を聴く際には、避けては通れないディスクともいえそうです。 全集中でも初期のセッションではありますが、録音状態はまず万全です。 四番のみ、やや高域が詰まったような印象がすることもありますが、些細なことであって、よほど神経質に聴かなければ気にならないのではないでしょうか。 【第5番、第6番】 交響曲第5番、俗に『運命』と呼ばれるベートーヴェンの作品です。 ハ短調を使ったこと、構築性に優れた彼の作品の中でも、最高の完成度と深遠さを持った傑作で、古今の交響曲中でも、屈指の存在といえます。 カラヤンは、晩年のこの録音で、力感を少しにおろそかにしない演奏を繰り広げています。 やや予定調和的と思える部分が無きにしも非ずではありますが、公平な眼で見ても、普遍的な良さを持った名演と評価されるに足ります。 非常に直線的に彫刻された美の世界を堪能させてくれる演奏であり、いわば究極にシリアスで美しい第5番ともいえそうです。 1962年の、前のめりになるほどの勢いはここには見られませんが、晴れ晴れとした歓喜の歌は、吹っ切れたよさも感じさせ、ベルリンフィルの安定し卓絶した演奏技術のすばらしさとともに、やはり他の指揮者では得られない領域に達しています。 最高にカッコいいし、爽快さを感じさせる演奏でもあります。 第6番『田園』は、宮城谷昌光氏の解釈によると、自殺を考えた都会に住む人間が、田舎にたどり着き、そこで心を癒されて再起する音楽だといいます(集英社新書『クラシック千夜一曲―音楽という真実』より)。 なるほどそう考えると、じつにさまざまなものが見えてくるのも事実です。 この作品は前述の第5番とともに初演されましたが、あるいはベートーヴェンは、この2曲の根底に流れているものは、同質の問題なのだと認識していたのかもしれません(私のまったくの推測です)。 カラヤンの田園は、他の指揮者とはまったく違う解釈で知られました。 ある評論家の方は、これを【スポーツカーで田園地帯を走りぬけるようなベートーヴェン】と評していましたが、おそらくこれは、スポーツカーをも、またベートーヴェンをも、カラヤンをも見下した言い方ではないかと思います。 ベートーヴェンは田園という曲になにを託したのか? それが心の再生という問題だとすれば、ここでのカラヤンの演奏を、簡単にしりぞけることはできません。 第1楽章「田舎に到着したときの晴れやかな気分」 第2楽章「小川のほとりの景色」 第3楽章「農民達の楽しい集い」 第4楽章「雷鳴と嵐」 第5楽章「牧人の歌、嵐の後の喜ばしく感謝に満ちた気分」 という楽章構成を持っている曲ですが、いってみればカラヤンほど、【都会人が田舎に来て心をなごませてゆく様子】を呼吸としてみごとに現している指揮者は、私はいないと思うのです。 アンチ・カラヤンと呼ばれたかたがたには興味のない話かもしれませんが、カラヤンという人は、ベルリンフィルの終身音楽監督でありながら、生涯ベルリンには住み着かず、オーストリアのアニフという山村(彼の故郷ザルツブルク近郊)に居を構えていました。 『私は田舎にしか住めない人間なのです』と何度も告白しており、その言葉の真実を、彼のブルックナーやシベリウスのすばらしさに聴くこともできると思います。 たしかにこれは、人懐っこい『田園』ではありません。 やや気取った人間のそれですし、カラヤン自身それでよい(無理に理解されなくてよい)と思っていたようでもあります。 でも、私はこの録音の、嵐(第四楽章)から続く感謝の歌(最終楽章)に、孤独の中に救いを求めて、それを得たいと思った人間の、切実な歌を聴くように思います。 全集最初期の録音です。 後期のものと較べると、たしかに音質はやや硬いかもしれませんが、多くの方には気にならない程度でもあります。 ふくよかさを持っている再生装置ですとわりあい気持ちよく聴けそうです。 【第8番他】 第8番はベートーヴェンの作品中でも地味な扱いをされている作品ですが、実は大変な名曲ではないでしょうか? すくなくとも古典派の作品に、ベートーヴェンの8番をしのぐ交響曲はほとんど見られないと思います。 やさしいおおらかな曲と思われていますが、実は演奏によってかなり左右されるということも、近年明らかになってきました。 たとえばアーノンクールの演奏など、爆発的な底力を見せているといってよく、いわば第5番にもっとも近い位置にいる作品として、この曲を位置づけていましたが、カラヤンのここでの演奏も、従来の柔和なイメージを覆すに足るインパクトがあります。 きわめて剛毅で堅牢な音楽として演奏されていますが、そのなかで、気難しい人間(ベートーヴェン、あるいはカラヤン?)がときおり見せる、ふっとした瞬間の笑みを浮かびあがらせている、といった印象を受けます。 この曲を愛する方にはぜひお聴きいただきたい秀演です。 実際カラヤンは、同曲の演奏に、全集のたびに心を砕いているように思え、それぞれ優れた演奏となっているのは、見逃せない点だとも思います。 このほか、このディスクには『コリオラン』『フィデリオ』『レオノーレ第3番』序曲が収められています(個人的には『エグモント』もこちらに入れてほしかったですが……)。 『コリオラン』は追い立てられるような表現が奏功し、じつによい緊迫感が支配する名品となっていますし、高貴な悲しみを表現している点では、カラヤンらしい名演と思います。 『フィデリオ』はやや勢いに欠け、セルの超名演を知るものにとってはさびしい出来栄えですが、安定感には不足せず、曲の良さをよく出しいて、不満を感じさせるものではありません。 また、『レオノーレ第3番』は、全体に豪奢なサウンドを駆使して、まことに絢爛な音楽に仕立てています。作品自体の生命力を見直すほどの名演といってもよく、個人的にはこの長い序曲の最高の演奏のひとつと考えています。 録音は全集中でも屈指の出来栄えです。 とくに序曲集は、楽器個々のニュアンスも豊かに収録したサウンドで、不満をほとんど感じさせません。 【第9番】 カラヤンはベートーヴェンの交響曲のなかでも、3番『英雄』と9番『合唱』を得意としていました。 大編成の作品を好んで採りあげたカラヤンらしいことでもありますが、この全集中でも同様のことが言え、3番と9番は白眉の演奏となっています。 それにしても、ここでの演奏の充実度は、9番を得意としていたカラヤンにしても驚くべきもので、冒頭から痛いほどの緊張感に支配された迫真の音楽が展開されます。 一点に向かって、集中し、限りなく感情を凝縮てゆくような、とても厳しい音楽。 第二楽章にしても、やや余裕を持って運ばれていた1977年の録音とは違い、まさに鬼気迫る熱演となっており、尋常ではない様子に息を呑みます。 テンポの設定は、アンサンブルの精度を考えると、限界ぎりぎりまで速められているのがわかりますし、自分自身をすら追いこんでゆくような表現には、カラヤンの、老いとの戦いのようなものさえ感じさせ、背筋を寒くするほどです。 ベートーヴェンの作品中でも、もっとも敬虔な感情によって編まれている第三楽章のアダージョは、当時75歳を数えていたカラヤンの祈るような指揮によって、崇高といえるほど美しく高められています。 最終楽章は、ベルリンフィルのチェロ・コントラバス軍団が大活躍します。 まさにこのオーケストラで、しかもカラヤン時代でなければ実現しなかったであろうサウンドで、究極のシンフォニー、交響曲の奥義ともいえる作品の姿が明らかにされてゆくのには、感謝の思いすらしてきます。 あるいはこれは、カラヤンにとっても、音楽への感謝を歌いあげたものだったのかもしれません。 その一方で、第九の『合唱』は、人類全体に、大いなる精神的融和の可能性を示す、まさに空前絶後といえるメッセージを持った作品でもあります。 1987年のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートで、カラヤンは 『平和を、平和を・・・・・・』 と語りました。 思えば二度の大戦や、その後に続く平和とはいえない時代を、その尊厳をみずから汚し、また傷つけられながら生き抜いてきたカラヤンならではの、万感の念に充ちた言葉だったことは、うたがう余地がありません。 ここでの、ベートーヴェン交響曲第9番『合唱付き』が、感動的な音楽となっているのも、不思議なことではありません。 そこかしこで、以前のカラヤンには見られなかった力みや、感情の欠片が聴き取れます。 われわれはそれに感動するのでしょうし、そうであるからには、この演奏を、名演と位置づけられないわけがありません。 もちろん、1962年の、すばらしく生気にあふれた名演を、われわれはすでに知っています。 そして1977年の、完璧無比ともいえるアポロの彫刻のような音楽も。 ですが、それらを差し置いても、ここにはやはり、特別な【なにか】があると申し上げなければならないようです。 その【なにか】を、わたしがここで言葉にしてしまうのは避けたいと思います。 聴かれた方々自身の言葉で、綴られるものではなければならないと思うのです。 それでこそ、究極の名演・名盤の名にふさわしいのではないでしょうか。 録音は全集中でも最良のものです。 伸びやかで美しいアコースティックサウンドで、声の質もよく収められています。 【総括】 カラヤンの結論的名盤として、やはり不朽の価値をもった名盤であると思います。 実は聴くほどに発見がある録音でもあり、作品によって出来の差はあれど、メルクマールとして無視できないセットです。 高音質ディスクとして再発されていますから、この機会にぜひお聴きください。 (録音 1982-84年) DISC Recommend 1 演奏 ★★★★☆ 2 録音 ★★★★ 3 不朽 ★★★★★ 4 買得 ★★★★ 5 必須 ★★★★★ ![]() ↑あなたもいますぐこの名盤をゲットできます! 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