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クラシック音楽CDから、不朽の名盤(&廉価盤)にふさわしいものを点数付で紹介してゆくブログです。初心者の方も歓迎です。新潟でのコンサートレビューもあります

マーラー 交響曲第8番『千人の交響曲』 ラトル指揮バーミンガム市響


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いまやベルリンフィルの音楽監督として、世界の楽壇の中心的存在であるサイモン・ラトル。
ベルリン以前には、バーミンガムのオーケストラに心血を注ぎ続けていたことはよく知られています。
英国の田舎町(とはいっても大都市ではありますが)の目立たない存在でしかなかったバーミンガム市響は、若きマエストロの挑戦的な活動の中で鍛えられ、研ぎ澄まされてゆきました。
彼らの成果は、シベリウスの全集などにも顕著にあらわれていますが、ここに聴くマーラーの8番こそが白眉であり、悼尾を飾るものでもあります。

マーラーの8番は、あらゆるクラシック作品の中でも最大の規模を持つ大曲中の大曲です。
それは初演に1000人以上の演奏人員を要したという一事からも明らかですが、さらに重要なことは、その内容自体が、巨大な精神を宿していて、見かけ上の大きさに拮抗しているという点です。
真に偉大な指揮者のみが、この曲を成功させることができますし、規模の面からも、名演を実現する機会は多くありません。
その意味で、マーラーのほかのシンフォニーほど、決定的な名演に恵まれていないのも、むべなるかなという思いがいたします。

ラトルはマーラーの全集を録音してゆく途上でベルリンの地位を得ました。
それだけに、第5番や第10番など、ベルリンフィルと録音されて大きな話題をさらいもしました。
ですから、最後のピース(欠片)というべき『千人』を、ベルリンではなく古巣バーミンガムのオーケストラで録音したのだと聞いたとき、期待よりも当惑の念にかられたのは、私だけではなかったはずです。
ラトルの意図が読めなかったからですが、実際の録音を聴いて、そんな疑問は吹き飛んでしまいました。
全集中、もっともすぐれた名演の誕生を実感したからです。

ここでのラトルとオーケストラは、まさに渾然一体の有機体となってマーラーの大作に同化しきっていますし、その振る舞いはなんとも自然でありながら、常に力強く、軸足のぶれない強靭さをも備えています。
マーラーの第8番は、きわだった巨峰でありながらも、生々しいまでの創作力の高揚をも宿している点に、その感動の秘密があるのだと思いますが、それを十全に活かしきるには、オーケストラと指揮者の一体化した没入度が鍵となってきます。
その意味では、かつて名演といわれたショルティ、バーンスタイン、テンシュテットらは、マーラーへの傾倒を如実に感じさせる熱のいりようでどれも見事でしたし、オーケストラの献身的な(それでいて積極的な)サポートも欠かせないものでした。
現代において、何人かの指揮者が『千人』に挑みましたが、それらがいずれも、大きな成功とはいえなかったのは、先人らのこうした情熱を、あるいは持ち得なかったからかもしれません。
正確なスコアリーディング、精密な指揮、統率力、というだけでは到達できない奥深さを、この神秘の大曲は内包していて、容易に制覇できない頂となって立ちはだかっていたのでした。

サー・サイモン・ラトルとバーミンガム市響。
両者の結びつきの強さを感じさせる名演でもあると思いますし、またてらいのないストレートな解釈と、いささかも躊躇優柔を見せない果敢な指揮は、ラトルという指揮者の本領を見る印象です。このような演奏を成し遂げてしまう力があればこそ、やはりわれわれはラトルに一目置かざるを得ませんし、常に目が離せない存在なのだともいえそうです。
結果からいえば、この注目すべき録音は、おそらくバーミンガムをパートナーに選んだからこそ実現したのでしょうし、いかなラトルとはいえ、ベルリンで同じような振る舞いが可能だったかどうか。

ことに第二部の圧倒的に高潮してゆく様子にはライヴならではのよさも感じられ、あざやかな出来栄えです。
トラック23以降は渾身の音楽であり、目もくらむほどまばゆい輝きを放っており、すさまじい感動の坩堝に聴き手をいざないます。

全体にたいへん傑出した名演であり、ある意味ではこれほどのレヴェルに達した、多彩な要素がいずれも高次元で整った録音は、この曲の過去の演奏を頭ひとつぶん追い越してしまったようにも思います。
ショルティに欠けていたしなやかさと、バーンスタインが持てなかった録音の万全、テンシュテットが実現できなかったオーケストラのヴィルトゥオジティをいずれも獲得し、まさに時と人を得た感があります。
当盤が第8番の究極的録音であるのは論を待たないところであります。

この第8番の存在があれば、ラトルという恐るべき指揮者の才能を、いささかも疑う余地はないはずです。
あたらしい時代を拓いた記念碑的名演として、これからのマーラーを語る際にけっして見逃すことのできない一枚です。
これ以上のつたない言葉は不要でしょうから、ぜひともお聴きになって、感想をお聞かせください。

(録音 2004年)

DISC Recommend
1 演奏 ★★★★★
2 録音 ★★★★★
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マーラー | コメント:4 | トラックバック:0 |

マーラー 交響曲第10番(クック版) ギーレン指揮南西ドイツ放送響


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マーラーの交響曲第10番は、作曲者が完成させることができなかった作品です。
クラシックの世界には、こうした未完の有名曲がいくつもあります。
たとえばシューベルトの『未完成』交響曲や、ブルックナーの交響曲第9番、モーツァルトの『レクイエム』などもよく知られています。
これらのほとんどが作曲家の最晩年の作品であるだけに(シューベルトはやや事情が違いますが、円熟期の書法には間違いないです)、その音楽の素晴らしさはまさに悼尾を飾るだけの傑作に値するものです。
マーラーの交響曲10番は、このなかでも特に【未完】の度合いが甚だしく、シューベルトのように完成部分が仮にもあるようなものでも、モーツァルトやブルックナーのように過半を書き上げていたというわけでもない、まったくの未完作品です(第1楽章でさえ完全には仕上がっていなかったのです)。

しかし、どうしてもマーラーの最後の作品を聴いてみたいという思いはやみがたく、残されたスケッチを元にしてマーラーの未亡人アルマ(彼女自身作曲家としてのキャリアを持っていた才媛でした)や、彼女の遺志を継いだ人間が錚々たる作曲家たちに楽譜完成の依頼を行ってきました。
そのなかには、シェーンベルクやショスタコーヴィチ、ツェムリンスキーといった大物の名前も散見されます。
こうした努力にもかかわらず、完成は困難を極め、光明が見えたのはイギリスの音楽学者デリク・クックの出現を見てからでした。
紆余曲折を経てクックが完成させた第10番は、アルマをも感動させ、全世界的にクック版として広まってゆくことになったのです。
その最新のものは、1989年に出されたクック版第3稿(第2版)です。

過去、何人かの指揮者がクック版で10番の演奏・録音に取り組んできました。
たとえばザンデルリングの名演があり、ラトルの挑戦的な二度の録音があり、シャイーによる美しさの限りの美演がありました。
しかしながら、マーラー自身の手によるものではないオーケストレーションは、クック版の誠実さをもってしても、想像力で響きをおぎなわねばならない部分が多く、完全な満足を与えてくれるものはありませんでした。
私自身の好みでいうと、わずかにザンデルリングだけが、満足しうるマーラー象を提供できたように思いますが、説得力を持ち得た代りに、いかにも荒削りのものではありました。
だからこそマーラーは天才でもあったのでしょうが、新時代の名演というべきギーレン盤が現れてきたことで、一気に存在感を増したように思います。

ギーレンは現代音楽の解釈者として権威的存在ですが、その流れの源流としてマーラーを把握しており、スコアの理解度には、凡百の指揮者がとうてい及ばないものがあります。
ただ、彼のスコアリーディングと演奏が、必ずしも幸福に結びつく録音ばかりでもなかったのではありますが、ここでの第10番こそは、両者の完全な融合が最大限望ましい結果をもたらした名演となっているのです。

ギーレンはクックを称え、『完全にマーラーの精神を現している』と語ったとされますが、それを裏付けるかのように、かつてどの盤からも聴かれなかったほどマーラー的な響きがこの録音には収まっています。
かつて薄い部分もあることを覚悟せねばならなかったクック版のオーケストレーションは、ギーレンの手法によって多くの部分がフォローされていますし、すぐれてソフィスケートされたオーケストラは文句の付け所がないほど美しいものです。
かといってエモーショナルな部分での共感がないがしろにされているわけでもなく、美しいながら際立って哀切な音楽、切実な魂の希求となっているのには涙を禁じ得ません。

第5楽章のシリアスな表現もここにきわまった感があり、かつて聴いたことがなかったような響きが頻出します。
この演奏が出た以上、今後、マーラーの第10番へのハードルはとても高くなると思えますし、また逆に、指標となって後進を導くだけの力を持ったのだと思わざるを得ません。

ギーレンの、というだけでなく、またバーンスタイン以後、という括りだけでもなく、マーラー演奏史において、無視することのできない業績として、この録音を位置付けたいと思います。
録音・演奏・そしていわば未知の名曲であった第10番の真の姿を明らかにしたプロジェクトとして、必ず後世に残るものになるでしょう。
このサイトで紹介するものとして、やや価格は高いですが、マーラーの音楽を愛する方にはぜひお聴き頂きたいと思います。

(録音 2005年)

DISC Recommend
1 演奏 ★★★★★
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マーラー 交響曲第2番『復活』 小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラ


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バーンスタイン以降のマーラー演奏を代表する、と私が思う最初の一枚がこれです。

小澤征爾は、渡米するまでマーラーに親しんでおらず、飛行機のなかでスコアをめくったという逸話があります。
それはとりもなおさず、わが国でのマーラー伝達の遅さを現してもいる事実ですが、それよりも重要なことは、小澤が、いわば外部の演奏家の影響を受けない状態から、マーラーを研究し始め、いまにいたっているということです。

その後彼は、ボストン響の音楽監督として長期政権を担うのですが、その寸前のステップとして、同じアメリカ5大オーケストラの雄、ニューヨークフィルを率いたバーンスタインに師事し、副指揮者をもつとめます。
ご存知のようにバーンスタインはマーラー演奏におけるパイオニアでありオーソリティでしたが、いわばその次に来る世代を代表するのが、小澤征爾なのです。
小澤はマーラーに、師バーンスタインより、より客観的な視点で接しているようでもあります。
ボストン時代の彼のマーラーは、激しい自己没入型のバーンスタインと較べると、やや味わいの豊かさにおいて欠ける趣もありましたが、反面、造形のしっかりとした、古典になりつつあるマーラーを実現していて好印象です。

いわばリセットされたマーラーということもできますが、さらにいまの小澤征爾がすばらしいと思うのは、リセットされた状態にも関わらず、音楽は自発的な内容を持ち、あくまでホットで、凝縮され密度の濃い音楽になっている点です。
彼はボストン時代にマーラーの全集を完成させ、そのなかでも8番など、たいへんな名演となっていましたが、ライヴならではの高揚も手伝って、ここではそれをすら凌駕する充実の音楽が聴かれます。
サイトウ・キネン・オーケストラという、いわゆる祝祭管弦楽団の中でも、トップクラスの実力を持つ技巧集団の、最良の姿を現す録音となっているのも、見逃せない点ではないでしょうか。このオーケストラの実力は、世界のトップ・オーケストラと比較しても遜色がないと思いますが、小澤が指揮したときにもっともよく反応するのもたしかなようです。

最終楽章の出来ばえも出色で、ライヴとも思えないほどに完成度が高く、ミスはほとんど見られませんし、スタジオ録音であったとしてもきわめて高レベルの演奏なのにも関わらず、エネルギーが縦横にほとばしり、オーケストラと指揮者が放つ気迫が、微粒子となって聴き手をうつようなすさまじい音楽です。
また、合唱の感動的な様子は、鳥肌が立つほどで、これに匹敵するのはクーベリック盤だけではないかとすら思えます。
ここには、かつて小澤のマーラーに、ややもすると指摘されていた、前述のような『味わいの乏しさ』は微塵も見られず、きわめて厳しい指揮でありながら、おそるべき前進力でマーラーの大作を駆動してゆく、雄渾な姿が収められているのです。

現在これほど感動的なマーラーを実現できるのは、おそらく世界に数人しかいないでしょうし、そのなかでも筆頭的な地位にいるのが、小澤征爾ということもいえそうです。
まっさらな状態から、あくまで自分の言葉で語ることを続けてきた、小澤征爾のマーラーは、結果としてあくまで正統的で、不純なものをすべて排除するような純度の高さを獲得したようです。
現代のスタンダードとなりえる名演中の名演であり、『復活』という大作の演奏史にも残るであろうプロジェクトです。
小澤征爾の音楽に生気がないなんて、誰がいったのでしょう?
私はこの音楽を聴いて、心から揺さぶられました。

さらには、これだけの名演が、演奏もスタッフも、我々日本人が中心となって実現されたことに、誇りを覚えます(この録音のクオリティは、特に弱音部の繊細さに、日本人の長所がよく現れてもいると思います。また合奏部での粒立ちの良い音も感動的です)。
ぜひひとりでも多くの、(世界中の方に)お聴きいただきたい名演です。

(録音 2000年)

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マーラー 交響曲第1番『巨人』 ワルター指揮コロンビア交響楽団


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マーラーの交響曲第1番『巨人』は、青春の音楽である。
作曲家が28歳で書いた作品だから、というだけではなく、その内容の感じ易さ、激しやすさ、勇ましさ、将来へのぬぐえぬ不安、どれをとっても青い炎が燃え盛るのが見えるような音楽なのです。

マーラーは、いくつかの習作のあと、この『巨人』を書きました(このタイトルは、現在、作品の内容と関係ないものです)。
第1番のシンフォニーとしての完成度は、とても高くて、これに匹敵する第1番は、ブラームスしかないくらいです。
書法はすでに鍛錬の必要がないほど磨かれていますし、個性の証が作品中にちらばめられて、そのまぶしさにはめまいがするほどです。
青葉の吹き出るような第一楽章のみずみずしさ、うきたつ心を抑えられない第二楽章のときめき。
将来へのおののきをこめられた第三楽章は、すでに晩年のテーマの萌芽をすべて聴き取れるほどグロテスクです。
そして、勝利と歓喜の爆発である第四楽章。
マーラーの作品中、もっとも古典的均整のとれた交響曲でありながら、感情の振幅は、彼以前の作曲家の常識をはるかに超えているのです。

ベルリン生まれの名指揮者、ブルーノ・ワルターがマーラーの弟子だったことはよく知られています。
マーラーは生前、作曲家としてより、むしろ世界最高の指揮者として名声を得ていましたが、そのアシスタントとして頭角を現してきたのが、まさにワルターその人でした。
マーラーの死後に交響曲第9番や『大地の歌』の初演をおこなったのは、ほかならぬワルターでした。
彼以外にも名指揮者クレンペラーがマーラーの薫陶を受け、メンゲルベルクもまた作曲家から信頼されていましたが、生涯の親友といってよかったのは、ワルターただ一人だったといいます。
ワルターはユダヤ人でしたから、ナチスドイツの台頭に身の危険を感じ、逃亡と亡命を重ね、ついにはアメリカに至ります。
戦後も活躍を続け、いったん引退した彼に、専属のオーケストラによる、主要なレパートリーのステレオ録音計画が持ち上がりました。
この専属オーケストラが、コロンビア交響楽団と名づけられた団体です。
ワルターは、最長でも一日に二時間という約束で、ふたたび録音を開始します。
それは、なんという孤独な芸術の精華だったのでしょうか。
故郷を追われ、悲劇により娘夫婦も失って、たどりついた異郷の地で、彼は名演を残したのです。
それが、名高いベートーヴェンの『田園』やブラームスの『第四番』、シューベルトの『グレイト』といった録音です。

そして、彼の死の前年に録音されたのが、このマーラーでした。
じつにワルター翁85歳。
ですが、これが老人の音楽でしょうか?
あくまで音楽は生き生きと躍動し、純粋さを微塵も失っていません。
驚異的な若々しさなのに、細部まで意が尽くされ、万全の出来栄えです。
身振りの大きいバーンスタイン盤(コンセルトヘボウも、ニューヨークも)も名盤ですが、むしろそれらよりスケールの大きさで勝っていると思わせるのは、真に偉大な、ワルターという指揮者のすごさでしょうか。
バーンスタインのような没入的指揮ではありません。というより、慈愛に満ちた理性で、師の音楽を、すみずみまで再現し、普遍的な感動にまで高めています。
この録音をおこないながら、ワルターの胸中には、どんな感情が去来していたのでしょうか?
まさに歴史の証人でもあった、ひとりの偉大な音楽家の人生を、この録音に聴くように思うのは、私だけではないでしょう。

それはマーラーの人生を、聴く思いでもあるのでした。
私は、彼の第9交響曲を聴いたあとこそ、この第1番『巨人』を聴き返したくなります。
かならずしも幸福ではなかったマーラーという人間の、彼の長い旅のはじまりと、その終焉が、そこには見えるようです。

録音はステレオ初期のものとしては上質です。
リマスタリングのたびに音がよくなっていますが、とくに低音の響きは特筆すべきものがあります。
ただ左右の分離はいまいちで、これは年代を考えるとやむなしですが、それでも充分に好ましい音であると感じられます。
CDのバージョンによって音がかなり変わりますから、なるべく最新のものをお求め下さい。

(録音 1961年)

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マーラー 交響曲第5番 カラヤン指揮ベルリンフィル


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マーラーの5番。
彼の作品のなかでは、もっともポピュラーな曲でしょう。
傑作映画『ヴェニスに死す』に使われて、一成を風靡したのが、1970年ごろ。
そのころにショルティの爆発的名演が出て、彼とシカゴのコンビが一躍有名になりました。
カラヤンの録音はその三年後。
この指揮者にして、初めてのマーラーとなりました。

静謐なトランペットの序奏から、急峻な渓谷をゆくような第一楽章。
一体の塊となって突進する第二楽章。
これらの第一部は、まだマーラーの語法に馴染みきっていない指揮者とオーケストラが、苦闘の末ねじ伏せたという印象を与えてきます。
ですがそれが、かえって新鮮で、爽やかな激動とも感じられるのです。

第三楽章(第二部)は後年、カラヤンがマーラーに見せた適性を、すでにそこここで窺わせています。
魔法のような楽しさ、ファンタジーの世界に遊ぶような足取り、冗長な楽章を退屈せずに聴かせる、数少ない演奏がこれです。

第四楽章から音楽は第三部に入ります。
精緻と流麗とを極めた指揮芸術の精華を聴く思いです。
銀色の滝に、心が吸いこまれてゆくような、不思議なくらい惹きつけられる音楽です。
何度聴いても、自分でも奇妙なほど心を動かされます。

そして最終楽章です。
すべての苦悩や桎梏を浄化するような爆発と開放のフィナーレになっています。
とくに13:55〜はあらゆる演奏の中でも特別の魅力を持っていて、私はこれを聴いてしまうと、たとえバーンスタイン盤がいかに素晴らしいとはいっても、こちらを取らざるを得ません。
全盛期のカラヤンとベルリンフィルだからこそできた、大団円の演出であり、感動であろうと思います。
これは、マーラーをようやくひとつ制覇したという、カラヤンの心の叫びであったのかもしれません。

オリジナルスとなってリマスタリングも成功し、録音はまずまずです。
全体に無難ですが、前半では響きがやや混濁しがちなのが気になります。
ただ、章を追うごとによくなってゆき、第四楽章アダージェットでは悪魔的なまでに美しい音色を再現していて驚かされます。いまもってこの楽章の最高の録音ではないでしょうか。
第五楽章も、音の分離がいまいちである為、かえって塊感のある音楽となり、迫力の点で申し分なく思います。

かなりの廉価といえますから、カラヤン初の記念碑的マーラーというだけでなく、純粋なマラ5演奏史に残る名演としても、マストアイテムといえるでしょう。

(録音 1973年)

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